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シュリーラ・プラブパーダは英語圏の人々にクリシュナ意識を広めるよう、自身の精神指導者、シュリーラ・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・タークラから指示をお受けになりました。この目的を果たすため、尊師A.C.バクティヴェーダンタ・スヴァーミーは最初の「バック・トゥ・ゴッドヘッド」誌を1944年に出版なさります。同時に『バガヴァッド・ギーター』、『シュリーマド・バーガヴァタム』、『チャイタニヤ・チャリタームリタ』やその他のヴェーダ文献の翻訳と解説の執筆を始められました。1965年、『シュリーマド・バーガヴァタム』3巻を出版した後、アメリカへ渡航する特別な乗船券を求め、シンディア蒸気船舶会社の所有者であるスマティ・モーラルジの元へ向かわれました。彼女はその要望をしばらく検討したのち、ついに同意し、船乗券を発行しました。

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1965年8月13日、当時A.C.バクティヴェーダンタ・スヴァーミーとして知られていたプラブパーダは小さいスーツケース、傘、そして一袋の乾燥シリアルだけをもち、コルカタ港に停留していた貨物船「ジャラドゥタ」号へと繋がる急なタラップを登っていかれました。その旅は相当な苦難をもたらしました。シュリーラ・プラブパーダは船酔いについて書き、旅の13日目にアラビア海を渡航中に深刻な心臓発作を起こされました。死を覚悟しましたが、その寝苦しい夜に夢を見たのです。主クリシュナがお現れになったのです。クリシュナは自身のあらゆる化身と共に無甲板船に乗っていらっしゃいました。クリシュナが船をお漕ぎになり、その船はシュリーラ・プラブパーダの船を縄で引っ張っていました。クリシュナはシュリーラ・プラブパーダに微笑みかけ、アメリカへと船を引っ張っていらしたのです!シュリーラ・プラブパーダはこの出来事について日記には書きませんでしたが、それまでの困難に満ちた日々に線を引き、生と死の間の大きな危機を乗り越えたことを宣言なさりました。数年後、シュリーラ・プラブパーダによってこれらの出来事は弟子たちに語られました。

この危機の後、シュリーラ・プラブパーダは力を取り戻し、船がエジプトのサイド港に入ったのち日記を再開しました。その後ジャラドゥータは地中海を渡り、ジブラルタル海峡を通り、大西洋に入って行きました。海はいつになく穏やかな湖のようでした。大西洋の航海は珍しく楽だったため、船長はこのようなことは初めてだと述べました。合計35日後、9月17日の午前5時半、船はようやくボストンのコモンウェルス・ピアーに停泊しました。翌日、ジャラドゥータはニューヨークにたどり着き、シュリーラ・プラブパーダは西洋での任務を果たすため人気のないブルックリン桟橋に降り立ったのです。

 

ジャラドゥータ日記を出版するにあたって、シュリーラ・プラブパーダのパスポートやビザ、シンディア蒸気船舶会社から発行された乗船券、ゴパーラ・アガルワルからの身元保証書、そしてアメリカ到着時に書かれたふたつの詩、「主クリシュナの蓮華の御足への祈り」と「マールキネ・バーガヴァタ・ダルマ」の自筆のコピーなど、注目すべき思い出の品々を加えました。またシュリーラ・プラパーダの会話や手紙にジャラドゥータの旅の描写があるものも抜き出しました(原作のみ。これらは過去の出版物に記載されているものなので、文章全体をシュリーラ・プラブパーダ全集のコンピューターデータベースで見る事が出来ます

 

イラスト(原作のみを担当してくださったバリ・マルダナ・ダーサ、スンダラカーラ・ダーサ、マーヤープリヤ・デヴィー・ダーシー、ジャーナヴァ・デヴィー・ダーシー、そしてこの日記の出版をするために尽力してくださった多くの献身者に感謝を申しあげます。

 

この日記には続編があります。1966年1月、ニューヨークで、シュリーラ・プラブパーダは新たな日記を書き始め、それにはその年の1月から10月までの出来事が記されています。ジャラドゥータ日記ほど献身者には知られていませんが、初期の献身者たちによる最初の「バック・トゥ・ゴッドヘッド」誌の発行や、シュリーラ・プラブパーダがドクター・R・ミシュラに招待された時から、クリシュナ意識国際協会(イスコン)の発足までに至る出来事が描かれています。その日記はシュリーラ・プラブパーダの生誕100周年の捧げ物として、出版したいと思っています。

 

シュリーラ・プラブパーダは私たちの時代のガウディーヤ・ヴァイシュナヴァ・サンプラダーヤで最も秀でたアーチャーリャです。30年前のジャラドゥータの旅は精神的復興の始まりを告げ、アメリカ到着後の12年で、ハレー・クリシュナ運動は世界中の主要都市に広がりました。何千年もの間、このヴェーダの伝統はインド内、サンスクリット語と日常語圏内に秘められていました。物質的精神に浸った世界に、シュリーラ・プラブパーダはこの普遍的哲学の知恵を明きらかになさったのです。

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