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日曜 1

コルカタ・メールでナグプール経由、コルカタ行き

ボリ・バンレル(?)から

夕方19時出発

チケット購入日 1976年7月24日

荷物予約済み 領収書

#A116695 Rs.12/20支払い済み

 

火曜 3

午後1時頃 65-A パチュリアガタ通り ラムクマール・バングル・ダルムサラに到着

シュリー・ゴービンドラル・バングルが私の迎えを手配してくれた。

 

ニューデリーのチャイタニヤ・バラティから1965年8月1日付けで、

ゴーヴィンダ・マハラージから1965年7月31日付けで手紙を受け取る。

 

木曜 5

シュリー・カナイ・バネルジーが会いにくる

 

金曜 6

朝マヤプールへ出発

夜には戻る

12 火曜

コルカタ港(K・ジョージのドックヤード)からアメリカに向けて母船ジャラドゥタ、出航予定

 

 

 

 

 

 

 

13 金曜

本日午前9時、母船ジャラドゥタに乗り込んだ。バガヴァティ、ドワルカの住人シンディア・サンシル、セン・グプタ氏、アリ氏とヴリンダヴァンが見送りに来た。キャビンは結構快適。主人が普段生活しているため、居間、寝室、トイレは全て上等品が備えられている。主シュリー・クリシュナがシュリマティ・スマティ・モーラジに力を与え、彼女がいろいろと手配してくれたおかげで一等船室の中はとても快適。

船は午後1時にゆっくり出航し、ボタニカル・ガーデンの近くにたどり着き、午後11時までガンジスの中流で停泊、その後前方へ進路を変え、再び進み始めた。とても安定している。キャビンの中にいると動いているのか全く分からない。とても快適。船はまた午前3時半にダイアモンド港とガノーカリの近くのカルピで8時間ほど止まった。ガンジスのデルタ地帯は結構幅が広く、水位は浅い。

 

土曜 14

船は午前11時頃、堂々と進み始めた。動きは全く感じない。しかしベンガル湾にたどり着いた時は船の傾きと揺れがあった。ベンガル湾の上の方では荒れが増し、船酔いした。吐き気とめまいを感じ一日中気分が悪かった。海はずっと荒れていた。見た目では65キロ四方の水面だったが、実際には無限に続いていた。何か別のものに見えても実際には違うという、神のマーヤの生々しい例だった。

 

日曜 15

今朝起きた時は昨日より気分が良かったが、食欲がなかった。レモンジュース(ニンブ・パニ)を一杯だけ飲んだが、めまいがまだ続いている。午前10時半まで船長室と無線室にいて、船員たちと話していた。無線室では他の船へニュースを送っていた。船長室には航海用具でいっぱいだ。様々な海図のチャートもあった。0から10段階に分類されていて今は4から7段階の間だと思う。10段階目は激しく、12段階目は重大だ。 船長はもっと固形物を食べるよう勧めてくれた。

 

月曜 16

早朝船は波がほぼない海の表面を進んでいるのが見えた。昨晩は心地よく、昼食は取らなかったが、チャラ・ムルキ(ポン菓子)と牛乳をとった。船は昨晩中穏やかに進み、あまりはっきりとは見えなかったが、月明かりに照らされていた。朝は日差しがあったが11時以降、海は荒れ始め、遠くから泡沫波が見えた。トリチノポリの緯度を越えると暗雲が立ち込み、雨に見舞われた。視界が霞んでいたため、周りの船に向けたサイレンが鳴らされた。正午頃になると、雨が強まり、船はときどき止まり、時折サイレンを鳴らした。雷が常に鳴り響いた。深い海の真っ只中での大雨を体験するのはこれが初めてだ。正午から低気圧の中を進んでいるため、船が傾き過ぎている。一日中船酔い状態。午後3時ごろ船はセイロン岸に向かい、今はセイロン海を進んでいる。

 

17 火曜

今朝の空には千切れ雲が広がっていた。船は西へ進んでいる。用を足してから体調は少し良くなった。風の流れに対抗して船は進んでいる。波がいつもより荒い。10時半ごろ、セイロンの南岸と白い灯台が見えた。反対方向から船は2船通り過ぎた。勇気ある漁師たちが数人、小さい船に乗って釣りをしていた。遠くからはほぼ沈んでいるように見えたが、近づくと何の問題もなく仕事をしているようだった。日差しはあるが快晴ではない。船長が6時間後にはコロンボ港に着くと教えてくれた。セイロン岸の丘陵の最南端は私たちの船から6、8キロ離れているらしい。小さい船に乗っていた漁師たちは自分の岸から8キロから16キロほど離れている場所で釣りをしていたことになる。とても大胆な行動だ。午後2時ごろ、北部に向かっている。曇り空だが、順調に進んでいる。前日三日より体調は良い。午後3時、コロンボ市がかすかに見えた。インド洋の水とベンガル湾の水の色は違う。船は4時半ちょうどに港についたが、停泊所がなかったために、管理側に受け入れてもらえなかった。港に入れるまで投錨した。午後9時ごろ、パイロットに案内され、古い造船所に入ったが、様々な国から貨物船や客船を含む色々な種類の船が停泊していた。夜になると造船所に停まっている船からの光が素敵な光景を作り出していた。船が停まっていたことから、一晩眠れた。翌朝、たくさんの品々を乗せた荷船が船の近くに停まった。

 

18 水曜

1965年8月18日の今日、元気を取り戻し、船酔いは完全になくなった。霞んだ空のおかげで船は一日中穏やかで、少ない量の荷物だけ船に乗せられた。コロンボ市を見たかったが何も手配できなかった。船は真ん中に止められていて、一人で行くのは気が引けた。

 

19 木曜

翌朝の1965年8月19日、パンディア船長に事情を説明したら、親切にも発動機艇で岸まで連れて行ってくれた。エリザベス・ゲートまで行き、セイロンの職員と話し、タクシーでナロッタム&ピエレラ会社のオフィスに向かった。マネージャーのバンカ氏はグジャラティ出身の紳士で、私たちを快く迎えてくれ、市を廻るための快適な車を手配してくれた。オフイス街は結構忙しく、海外の事務所や有名な銀行がたくさん立ち並んでいた。総督邸や国会議事堂、市役所と素敵なシーサイドホテルを見ることができた。綺麗な道路と市場も通った。小さな平屋は綺麗に飾られ、都市は清潔で素敵に見えた。ここの人々はあまり見た目はよくないかもしれないが、センスと教養があるように見える。都市はインドのマドラス市やプーナ市を彷彿させる。バスやタクシーは清潔でバス停はインドのように混んでいた。 オフィスもインド式。文化と文明は完全にインドと同じだが、インドとセイロンは人為的に分けられている。午後6時にコーチンへと向かうことになった。船長が遅れたため、船は午後7時に出航した。翌日の午後3時半まで船は進み続け、コーチンの海岸にたどり着いた。船はドックには入らず、コーチンの海岸に佇んでいる。

 

金曜 20

今日(1965年8月20日)はジャンマシュタミーということで、船長が母船ジャラドゥタでのミーティングを手配してくれ、主シュリー・クリシュナの哲学と教えについて1時間ほど話した。船員全員が参加し、プラサーダムが配られた。このことはムンバイにいるシュリマティー・スマティ・モーラジに伝えられた。船はアラブ海で岸から4キロほど離れたところで立ち往生している。1965年8月20日の午後3時20分から1965年8月22日の午前9時半までこの状態。

 

日曜 22

午後10時頃、コーチンの造船所に入った。ドックには小さな島がいっぱいあるために、とても不思議な光景だ。以前イギリス諸島として知られていた島の中には綺麗な宿営地がいっぱいある島もあった。私の本がムンバイから5ケース届くのが見え、22/8/65の午後4時、職員たちがそれらを船に乗せていた。街をドライブするために、ジャイラム&ソンズの職員が親切にも車を手配してくれた。諸島の中で鉄橋で繋がっている二つの大きな島がコーチンとエルナクラムとして知られている。鉄橋はイギリス人によって線路と並ぶように、綺麗に作られていた。線路は港まで続く。繁栄している海外の企業や銀行がたくさん並んでいた。日曜日でバザーは閉まっている。この辺では不思議なプランタンが手に入るのを見かけた。コーチンとして知られるこの島は最先端の都市ではない。道路は小道のようだ。外人が住むところは裕福な立地だ。工場などの建物は大きく、丁寧に管理されている。イスラム教とヒンドゥー教の住宅はそれぞれ他のインドの都市のように、隔てられている。エルナクラムとして知られている場所は現代的だ。湾岸にはスバス・ボセ公園として知られる綺麗な公園がある。この辺でもスバス・バブが有名なのは良いことだ。ケララ高等裁判所と公共の建物をいくつか見た。エルナクラムに高等裁判所があることからここがケララの首都であるようだ。インドのこの部分はベンガルを彷彿させる。エルナクラムとコーチンもコルカタの昔のカリガートやトーリーガンジを思い出させる。文化もインドそのもの。

 

正式バドラ 31日 18887 サカ

 

23 月曜

今日はアンナダ・エカダシ

午後12時半頃、西側にある紅海へと向かい始めた。ほぼ快晴の空でコーチン港から出発した時から太陽が出ていた。現在はアラブ海を航海中。船酔いがまた始まった。頭痛、吐き気、食欲のなさ、めまい、だるさ。まだ続いている。時折雨が降るが、ほんの短い間だけ。キャビンにはもうひとり乗客がいた。彼も船酔いで苦しんでいた。このように一晩がすぎた。

 

24 火曜

今日の午後1時半頃、インド海岸からまだ600キロほどしか離れていないと、船長室から知らせを受けた。船酔いがまだ続いている。1日一回しか食事を取らないが、昨日断食をしていたのにもかかわらず、今日は完食することすらできなかった。具合が悪い。

 

25 水曜

今日から下に続く

 

26 木曜

27 金曜

28 土曜

29 日曜

30 月曜 

 

31 火曜

生死を決める危機を乗り越えた。

このことに関しては別のところに書く必要がある。

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