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水曜 1

スエズ港

 

木曜 2

スエズ運河&サイド港

 

金曜 3

今日午後1時頃サイド港から出発。

サイド港の街はとても良い。きれいで整った細長い道と高い建物がある。都市は全く渋滞していない。地中海側に面するスエズの後ろ側を通った際、都市がはっきり見えた。いくつか工場がある小さな都市。砂漠の中にある町だが様々な種類の野菜がある。ムンバイ・チョウパティ・ビーチのようなマリーン・ドライブがある。都市には良い公園がみえる。

 

土曜 4 

避難訓練があった。

ベルトを体につけ準備し、

みんなで救命ボートが使えるか確認。

120人まで乗せられるボートが2つ。

だが乗っていたのは55人ほど。

 

日曜 5

夕方は曇り空で霧が予想され、みんな表情が暗くなった。

しかし真夜中に神の恩恵により、マルタ・シチリアを通り、一晩無事に過ごした。

 

月曜 6

今日はキチュリとカリを食べた。

おいしかった。

味わいながら、少しずつ前に進むための力を得た。

 

火曜 7

今日はヴァラーハ・ドワダシ

地中海で絶好の大気条件

途中ずっとアルジェリア海岸が見えた。

 

水曜 8

今日の午前9時ごろ、ジブラルタル付近で最初の霧による妨害。船の周りは真っ暗で船は完全に止まった。他の見えない船との衝突を避けるため、笛が時々鳴られていた。11時ごろ再び動き始めた。

1965年9月8日午後2時半ごろ、ジブラタル港を通り過ぎ、タリタ(?)灯台にたどり着いた。反対側はスペインのモロッコ。そこには定期フェリー汽船便がある。srt?は幅広く、11kmほどある。今大西洋にいる。

 

木曜 9

午後4時ごろまで大西洋を24時間以上かけて渡った。

一日中快晴で航海は穏やか。

定期的に食事をとり、これから踏ん張る力を得た。船は少し揺れ、少し頭痛を感じている。大変だが、人生の蜜はシュリー・チャイタニヤ・チャリタームリタであり、それが私の活力の源。

 

金曜 10

今日の航海はとても穏やか。少し気分が良くなった。しかしシュリー・ヴリンダーヴァナと私の愛する主シュリー・ゴーヴィンダ、ゴーピナータ、ラーダ・ダーモーダラが恋しい。唯一の慰めはシュリー・チャイタニヤ・チャリタームリタで、主チャイタニヤの遊戯の蜜を味っている。私はただシュリー・バクティシッダーンタ・サラスヴァティーが守ろうとしていた主チャイタニヤの命令に、従うためだけにバラタ・ブミを離れた。私にはなんの資格もないが、尊師の命令に従うためだけにこの危険を犯している。ヴリンダーヴァナから遠く離れ、私はその方達の慈悲に完全に頼っている。

 

土曜 11

今日の航海はとても穏やか。快晴で一日中日光があった。午前7時半頃にポルトガル共和国のアゾレズ諸島を通り過ぎた。午後4時半頃にまた救助訓練。消防隊の訓練もあった。夜は月光がたっぷり海を照らし、かなりの揺れもあった。でもアラブ海のときほど影響されなかった。今まで航海してきた海より、大西洋は私に優しい。これも全て主クリシュナの恩恵。

 

日曜 12

S.Rの日

今日は快晴だったがかなり揺れた。パンディヤさんは小柄な女性だがとても頭が良く、博識。

私の未来について予言してくれた。

彼女の予想に感謝。

彼女に主クリシュナの全ての恩恵あれ。もう乗り越えたであろう困難のことも言っていた。その困難を乗り越えていれば、

それは私の友、そして哲学者である主クリシュナの好意です。

夕方は揺れが強すぎて、船酔い。

ちゃんと食事が取れなかった。

少し甘いものを味わった。

船の揺れは夜中まで続いた。

 

月曜 13

今日でコルカタから出発して32日目。昨日の夜中過ぎに揺れが収まり、気持ちが落ち着いた。

朝もちゃんと食事が取れなかった。

そこで「バティ・チャチャリ(?)」を作った。美味しそうだったので少し食べることができた。

今日親友である主シュリー・クリシュナに心を打ち明けた。これに関連してベンガル語の詩を書いた。

11時ごろにまた少し揺れた。

船長によると大西洋がこれほど穏やかなのは滅多にないらしい。これは主クリシュナの慈悲だと言った。彼の奥さんはまた穏やかな大西洋で航海できるよう、再びこの船に乗って欲しいと言った。いつもの大西洋だったら私は死んでいただろう。でも主クリシュナが船の舵をとってくださった。

 

火曜 14

今日は旅の33日目。

午前3時、ほの暗い月光と曇り空を見た。

朝から午後1時まで曇り空が続き、1時半にはにわか雨。曇り空はまだ続いていて、南東から風が吹き、時々雨が降っている。一日がそのように過ぎ、風は次第に大暴風に変わり9時半まで、雷が伴う強い雨が続いた。10時、船長室で会話中に技術長の

トラバース氏はこんなに大西洋が静かで穏やかなのは初めてだと言った。過去の航海は台風や大暴風、霧などが何日も続いたらしい。主クリシュナの恩恵だと彼に伝えた。

普段大西洋で起こることが起きていたら、私は死んでしまっていたでしょう。

 

水曜 15

今日で旅の34日目。

普段通り午前3時に起き、ベランダにでるとほぼ快晴だった。

月光が光、南東からの風は強かったものの、視界は澄み渡り、船は穏やかに進んでいた。午前11時ごろ、空はまた曇り始め、午後3時まで続いた。時々雨が降ったが午後4以降空は澄み渡り、快晴が続いた。シュリーマド・バーガヴァタムでカリヤ・ダマン・リーラ、特にシュリーマティー・ナガ・パトニーとカーリヤの最後の訴えの祈りを読んだ。

木曜 16

今日で旅の35日目。昨晩の10時半頃、バミューダの緯度からボストン港方面に北東に向かった。朝の大気はほぼ澄み渡り、船は穏やかに進んでいた。大西洋でこのような経験は初めてで、幸運は私の存在のおかげだと、一等航海士が言ってた。そう、これは主クリシュナの恩恵であり、私がひどく船酔いしていたために、クリシュナ自身が舵を取ってくださっていると、答えた。化身の姿で主が船を漕いでいると。アメリカの港には無事に辿り着くだろう。一日のほとんどは快晴だったが、午後4時頃、突然霧がかかった。霧に覆われ、辺りは暗くなった。地平線はまだ見える。その先に何があるのか、見てみよう。深い霧のため、午後6時には船は完全に止まった。主クリシュナよ、この霧から抜け出せますように。 主クリシュナの恩恵により、2〜3時間後には霧が消え、船は再度動き始めた。夜も穏やかで、36日目の今日、午前5時半にボストン港にたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17 金曜

ボストンの造船所で午前10時に税関職員などが船に入ってきた。確認作業などが済み、入国許可を発行してもらった。船長とボストンの町を見てみたが、とても良い。それについては後ほど書くことにする。コルカタ港から出発して36日目の午前、アメリカのボストン港にたどり着く予定 ACB - /9/65

翌日の午後4時までボストンで1日を過ごした。

 

18 土曜

旅の37日目。午後4時、ニョーヨークを目指してボストン港を出航。午前中、バトラーにいるゴーパール・P・アガルワルに電話で話した。彼の知り合いがニューヨークで私を迎え、バスか電車(都合のいい方)でバトラーまで連れて行ってくれるとのこと。ドクター・ミスラに連絡を試みたが、昨日も今日も不在。迎えにきてくれるのか分からない。今日は素敵なアメリカ人紳士、ガーディナー氏とフライアー氏に出会った。綺麗な運河を通り過ぎ、二つの架道橋の下を通った。しかし深夜には霧による障害がかなり強く、船の進みは遅かった。1965年9月19日の12時半、ニューヨーク港に遅れて到着するまで、霧は続いた。

19 日曜

旅の38日目。予定時刻より3時間ほど遅れて、午後12時半ニューヨーク港に到着。

 

土曜 25

アルン・パンディヤ船長に手紙を送った。

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