The Jaladuta Diary | ジャラドゥタ日記

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クリシュナの蓮華の御足への祈り
ジャラドゥタの船内にて、1965年9月13日
(リフレイン)
kṛṣṇa taba puṇya habe bhāi
e-puṇya koribe jabe rādhārāṇī khusī habe
dhruva ati boli tomā tāi
兄弟たちよ、はっきりと言う、シュリーマティー・ラーダーラーニーが私たちに満足しない限り、至高主クリシュナから幸運を得ることはできません。
śrī-siddhānta saraswatī śacī-suta priya ati
kṛṣṇa-sebāya jāra tula nāi
sei se mohānta-guru jagater madhe uru
kṛṣṇa-bhakti dey ṭhāi ṭhāi
母シャチーの息子である主ガウラーンガ。その主の愛おしいシュリー・シュリーマド・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・タークラの、
至高主シュリー・クリシュナへの奉仕に勝る者はいません。世界中の様々な場所でクリシュナへの強い献身を授けてくださる聖なる精神指導者です。
tāra icchā balavān pāścātyete ṭhān ṭhān
hoy jāte gaurāṅger nām
pṛthivīte nagarādi āsamudra nada nadī
sakalei loy kṛṣṇa nām
彼の強い願いによって、主ガウラーンガの聖なる御名は西洋世界の全ての国々に広がるでしょう。
地球上の全ての都市、街や村、そして海や川で皆がクリシュナの聖なる御名を唱えるでしょう。
tāhale ānanda hoy tabe hoy digvijay
caitanyer kṛpā atiśay
māyā duṣṭa jata duḥkhī jagate sabāi sukhī
シュリー・チャイタニヤ・マハープラブの大いなる慈悲が全ての方角を支配すると、超越的な喜びの洪水が地上を覆うでしょう。
全ての罪深い惨めな生命体が喜びを感じるとき、ヴァイシュナヴァの願いが叶います。
se kārja je koribāre ājñā jadi dilo more
tāi se tomāra kṛpā māgitechi anurūpā
グル・マハーラージャにこの使命を果たすように命じられたものの、私にはその価値もなく、適任でもありません。
私は落ちぶれていて、取るに足りません。
なので主よ、私がこの任務にふさわしき人間になれるよう、最も知識と経験をお持ちであるあなたのご慈悲を授けてください。
tomāra se śakti pele guru-sebāya bastu mile
jībana sārthak jadi hoy
sei se sevā pāile tāhale sukhī hale
taba saṅga bhāgyate miloy
あなたがお力を授けてくだされば、精神指導者に仕えることで
絶対真理を得り、人生の完成を達成することができます。
その奉仕を手に入れることができれば、喜びを手に入れ、
幸運にもあなたの交際を得ることができます。
evaṁ janaṁ nipatitaṁ prabhavāhikūpe
kāmābhikāmam anu yaḥ prapatan prasaṅgāt
kṛtvātmasāt surarṣiṇā bhagavan gṛhītaḥ
so 'haṁ kathaṁ nu visṛje tava bhṛtya-sevām
親愛なる主よ、至高人格主よ、次々に起こる物質的欲望との関わりの結果、大衆を追いかけ、私は徐々に盲目にも蛇いっぱいの井戸に落ちてしまいました。しかしあなたの召使であるナーラダ・ムニが親切にも私を弟子として受け入れ、この超越的立場を得る方法を教えてくださいました。
ゆえに、私の最初の義務はナーラダ・ムニに仕えることです。その奉仕から離れることなど可能でしょうか?
(プラフラーダ・マハーラージャから主ヌリシンハへ、『シュリーマド・バーガヴァタム』 7-9-28)
tumi mor cira sāthī bhuliyā māyār lāthi
khāiyāchi janma-janmāntare
āji punaḥ e sujoga jadi hoy jogāyoga
主クリシュナよ、あなたは私の永遠の友です。あなたを忘れ、私はマーヤーの蹴りを何度も生まれ変わりながら、幾度となく苦しんできました。
もし今日あなたに出会う機会に恵まれれば、確実にあなたの元に戻ることができることでしょう。
tomāra milane bhāi ābār se sukha pāi
gocārane ghuri din bhor
kata bane chuṭāchuṭi bane khāi luṭāpuṭi
親愛なる友よ、あなたの交際の中で、私は大いなる喜びを再び感じるでしょう。
早朝に牧草地や畑をさまよい、そしてヴラジャの数ある森で走り、戯れ、精神的喜びを感じながら地面を転がる。
そんな日は、私にいつ訪れるでしょうか?
āji se subidhāne tomāra smaraṇa bhela
āmi tomāra nitya-dāsa tāi kori eta āśa
今日、あなたの記憶はとても素敵な方法で蘇りました。恋しさゆえに、私はあなたを呼び求めました。
私は永遠にあなたの召使であり、ゆえに私はあなたとの交際を熱望しています。主クリシュナよ、あなた以外に成功の方法はありません。
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マールキネ・バーガヴァタ・ダルマ
ボストン港にて、1965年9月18日
baro-kṛpā kaile kṛṣṇa adhamer prati
ki lāgiyānile hethā koro ebe gati
親愛なる主よ、あなたはこのような役に立たない魂にもとても優しいですが、
なぜ私をここに連れてこられたのか、分かりません。
どうかお好きなようになさってください。
āche kichu kārja taba ei anumāne
nahe keno āniben ei ugra-sthāne
しかしきっと何か目的がおありなのでしょう。
でなければ、なぜこれほど恐ろしいところに私を連れこられたのでしょう?
rajas tamo guṇe erā sabāi ācchanna
bāsudeb-kathā ruci nahe se prasanna
ここにいる人々のほとんどが無知と激情の物質的様相に覆われています。
彼らは物質的生活に没頭し、自分が幸せで満足していると勘違いしているがゆえに、
ヴァースデーヴァの超越的なメッセージに興味をもっていません。
どうすれば彼らが理解してくれるか、分かりません。
tabe jadi taba kṛpā hoy ahaitukī
sakal-i sambhava hoy tumi se kautukī
しかし最も熟達した神秘家であるあなたの無償の慈悲は全てを可能にすることを知っています。
ki bhāve bujhāle tārā bujhe sei rasa
eta kṛpā koro prabhu kori nija-baśa
彼らはどう献身奉仕の味わいを理解するのでしょう?
主よ、あなたの教えについて彼らを説得できるようにご慈悲を授けてくださるよう、お祈りを捧げます。
tomāra icchāya saba hoy māyā-baśa
tomāra icchāya nāśa māyār paraśa
あなたのご意思によって、全ての生命体は幻想エネルギーの支配下に置かれました。
ですから、もしお望みであれば、あなたのご意思で彼らは幻想の手中から解放されるでしょう。
taba icchā hoy jadi tādera uddhār
bujhibe niścai tabe kathā se tomār
どうか彼らを解放するよう、あなたに願います。
ですから、あなたが彼らの解放を望んでのみ、彼らはあなたの教えを理解することができるしょう。
bhāgavater kathā se taba avatār
dhīra haiyā śune jadi kāne bār bār
シュリーマド・バーガヴァタムの言葉はあなたの化身であり、冷静な人が従順に繰り返しその言葉を傾聴すれば、
あなたの教えを理解することができるでしょう。シュリーマド・バーガヴァタムにはこう書かれています。(1-2-17〜21)
ceta etair anāviddhaṁ
dṛṣṭa evātmanīśvare
人格神であるシュリー・クリシュナは全生命の内に住むパラマートマー [至高の魂]であり、
誠実な献身者に恩寵を差し伸べる方である。主の教えは、それ自体が美徳に満ちているが、
その美徳は正しく聞き、そして語られるときのみ理解される。
主はそのような教えを聞く熱意を高めた献身者の心から、物質的楽しみに対する欲望を洗い流してくださる。
定期的にバーガヴァタムの法話に参加し、純粋な献身者に仕えることで心の中のあらゆる困難がほぼ完璧に根絶され、
超越的な詩歌によって讃えられている人格神への愛情奉仕が、不動の事実として心に刻まれる。
心の中で主への愛情奉仕が不滅のものとして築かれる時、欲情、欲望、切望といった激性と無知の影響は心から消えていく。
その時、献身者は徳性に立脚し、完全に幸福になる。
純粋無垢な徳性に立脚し、主に献身奉仕をして活気あふれる心を持つようになった人物は、
物質的な物事全てから解放された境地の中で、明晰かつ科学的な人格神の知識を獲得する。
こうして心の中の結び目は刺し貫かれ、疑いは消える。
果報的活動の鎖は、自己を主人として見るときに断ち切られるのである。
rajas tamo hate tabe pāibe nistār
hṛdayer abhadra sate ghucibe tāhār
彼は無知と激情の様相の影響から解放され、それゆえに心の中心に溜まっていた不吉なものが全て消えていきます。
ki ko're bujhābo kathā baro sei cāhi
khudra āmi dīna hīna kono śakti nāhi
どうやって彼らにクリシュナ意識の教えを理解させればいいのでしょう?
私はとても不幸で、資格もなく、最も落ちぶれています。
自分ひとりでは力がないので、どうか彼らを説得できるよう、あなたの恩恵を望んでおります。
athaca enecho prabhu kathā bolibāre
je tomār icchā prabhu koro ei bāre
どういったわけか、主よ、あなたはあなたについて話すよう、私をここに連れてこられました。
さあ主よ、それはあなた次第です。私が成功をおさめるのか失敗するのかあなたのお好きなようにお任せします。
akhila jagat-guru! bacana se āmār
alaṅkṛta koribār khamatā tomār
全世界の精神指導者よ!私はあなたの教えをただ繰り返すことしかできません。
ですから、もしお望みであれば、彼らの理解に適した話ができるよう、力を授けてください。
taba kṛpā ha'le mor kathā śuddha habe
śuniyā sabāra śoka duḥkha je ghucibe
あなたの無償な慈悲によってのみ、私の言葉は純粋になります。
この超越的なメッセージが彼らの心に沁み入れば、彼らは喜びを感じ、
人生の不幸な状況全てから解放されることを、私は確信しています。
āniyācho jadi prabhu āmāre nācāte
nācāo nācāo prabhu nācāo se-mate
kāṣṭhera puttali jathā nācāo se-mate
主よ、私はあなたの手によって操られる人形です。
もし踊るためにここに連れてこられたのであれば、どうか踊らせてください。
踊らせてください。主よ、好きなように踊らせてください。
bhakti nāi beda nāi nāme khub daro
"bhaktivedānta" nām ebe sārthak kor
私は献身も、知識も何もありませんが、クリシュナの聖なる御名への強い信念は持っています。
私はバクティヴェーダーンタとして指定されました。
ですからお望みであれば、バクティヴェーダーンタの本当の意味を果たせるようにしてください。
最も不運で、取るに足らない僕(しもべ)より、
A.C バクティヴェーダーンタ・スヴァーミー
ジャラドゥタの船内にて、コモンウェルス・ピアー
ボストン、マサチューセッツ、アメリカ合衆国